アルメニアの歴史
アルメニア人は自らをハイ、国をハヤスタンと呼ぶそうです。
また、ノアの箱船が漂着したというアララト山はとても有名です。
紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄。
しかし、ローマ帝国とパルティア、サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。
1世紀頃にはキリスト教の布教が進み、紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした。
その後サーサーン朝ペルシアの支配下に入り更にアラブの侵攻を受けるが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り、独立を回復。
しかし、バグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝やモンゴル・ティムール朝などの侵入が相次いで国土は荒廃した。
このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった。
1636年にアルメニアにはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアに分割統治されるが、1828年のトルコマンチャーイ条約によってペルシア領アルメニア
はロシア領となる。
19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に
至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺問題)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。
1936年にソビエト連邦を構成するアルメニア社会主義共和国として独立。1988年にアゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニ
アに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争に発展した。これを
契機としてアルメニアは独立を宣言したがソ連軍の侵攻を受けた。しかし1991年にソ連保守派のクーデタが失敗した為、同年9月にアルメニア共和国は独立
を遂げた。しかしナゴルノ・カラバフ自治州を巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いている。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加
盟。